A Long Time Ago ………

ある楽器店にて。
やっと四歳になったばかりの娘を連れた若い父親は趣味で親しんでいるフルート、ピ ッコロ、ギター、アコーディオンと物色するうちマホガニーのアップライトピアノの 前にやってきた。 『私、弾けるよ。』娘は突然、家のオルゴールで聴き親しんでい た曲を奏でた。感激した父親は、その、どこの親にも一度や二度はある大変な勘違い と思い込みにより娘にその高価なおもちゃを与えた。
自分の果たせなかった夢を子供に託そうという親心がしばしば犯す過ちの例にもれ ず、娘はうるさい父親が側にいる時はピアノを弾きたがらなくなった。しかし来客が あるとしゃしゃり出てはあれこれ弾いた。
小学校にあがり週に一度のピアノのレッスンに通うのは娘にとってなかなか楽しい経 験だった。 娘が『おばけ屋敷』と命名した古びた洋館や重厚な門構えの家並みがつ づく行き帰りの道にいろいろな発見をしたし、とりわけ先生とそのお屋敷の雰囲気が すこぶる気に入っていた。が、肝心のレッスンとなると情けない事態となり課題の曲 や譜面のうっとうしさは娘に重くのしかかった。 お日様の下で遊んでばかりの毎日 にオサライの余裕などあるはずもなく、おまけに何かと誘惑の多い環境だった。 そ れでも父親のクラシックのレコードはレース編みをする母親の唯一のBGMだったか ら家には音楽が満ちていた。
少女から大人へと成長するにつれ、スポーツに親しむあまり年中真っ黒の娘を見るう ち両親は、音楽学校へ入れようなどという大それた夢はあっさり忘れ、ゆくゆくは平 凡で健康的な家庭の主婦に納まるであろう娘の姿を想像し半ば安心していた。
『私、会社辞めてミュージシャンになる!!!』 短大を卒業し丸の内の商社に勤め るようになって二年目の冬、娘は唐突に宣言した。 ついこの間まで週末はテニスだ スキーだと飛び回りOL生活を満喫していたはずの娘の言葉とはにわかに信じ難く、 両親は途方に暮れた。
『私は自分自身の音楽を探しに行く………』 
そんな不透明で不確実な冒険に笑顔で送りだす親はそうそういないものだと、その時 初めて娘は知った。 とはいえ、生来の楽観主義にささえられ足はとっくに一歩を踏 み出していた。

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